昨年秋からリサイクルに関心があるとおっしゃる方からよく教えていただけるもの
に子供製品ばかりのリサイクル・ブティックがあります。
薦めて下さる皆様がほめられます事に興味を抱き、何度か足を運んでいます。
今日はその感想めいたことを書いてみます。
確かに名前の持つイメージ通り小洒落た雰囲気で落ち着いた感じのお店が
多い様に思います。中には子供を遊ばせておくスペースを作ってあるところも
あり、こうした小さいお子さんがいらっしゃっても利用しやすい配慮がなされて
いますと何となくそこの空気が心なしか和むような気がして嬉しいものです。
子供向けブランドが思っていた以上にたくさん出回っていることにも驚きました。
なんだか「腐っても鯛」ならぬ「腐ってもブランド」といった感じがしますね。
ただお値段はフリーマーケットなどで見る普通の子供服と比べますと高いです。
また店内で一つのブランドに絞って状態の良いものを探されています方に時折
思い切って話を伺ってみましてもそれなりに需要があるのがうなずけます。
まず新品よりはリーズナブルなお値段ですのでお試し気分で買えること。
次に自分がブランドものを着ている場合子供に着せていないのは変だということ。
あと、滅多に着ない行事ものの衣装なども手頃な物が手に入りやすいこと。
(これはついでみたいなものですが)いつか自分の子供に不要になってどなた
かに渡すときも気兼ねなく渡せて先方にも喜ばれること。
いずれもリピーターとなっていくのに十分な理由だと思います。
私から見ての利点は、やはりこれならお古を着せているという中傷を免れやすい
といったところでしょうか。なので私も行くたびについ何点か買ってしまいます。
Shop guideでおすすめするのには疑問を持っていますが(子供の未来は考えて
くれているとは思えない)この際こういったリサイクルでも子供を取り巻く環境を
考える何かの起点となっていけばいいなと最近は思っています。
子供に関する雑誌を読んでいますとしつけに関することで「左利きを矯正させる
べきでしょうか?」との相談がたまに載っています。
いまは必ずしも矯正させなくてもよい、という方向で回答されているようですね。
それを読んでいていまさらですが自分の手をじっと見てしまいます。
なぜならわたしは完全矯正に失敗したひだりききの持ち主だからです。
ペンとお箸は右で持てます。マウスも右きき用で練習して何とかなりました。
でも絵を色づけすることやボール投げ、裁縫の針を持つ手などだいたいのもの
はひだりから変えられません。
包丁なんて、皮むきは右、千切りは左なのです。中途半端でしょう?
おかげさまで不器用に見られることが多いです。(事実そうですが-笑-)
それでも私自身は「仕方がない」程度でいままで深く考えたりしませんでした。
で、ぼやきはここからです。
子供は利き手が右みたいなので右手で出来るように教えていますが、最近彼は
周りのすることを見て真似て覚えていこうとするようなんですね。
その見本が私のように中途半端なひだりききですと混乱するようなのです。
よく「ぼくはどっちのお手々でできたらいいのぉ?」と困ったように訊かれます。
いつか「何故ママは利き手がばらばらなの?」と訊かれる日が来るのでしょうか。
私の不完全な左利きがこの先子供にどんな影響を与えるのか心配です。
結果オーライで良い方に転んでいくことをひたすら願うのみです。
みなさんがおもちゃを買うときに迷うことはなんですか?
私はなんとか木製のおもちゃで同じものはないか、という一点に集中しています。
これは私が子供のときに木で出来たおもちゃが欲しくて、でも高くてついに一つ
たりとも手に出来ないまま大人になってしまったことが動機だと思います。
(蛇足を承知で断っておきますとおもちゃ自体家にはほとんどありませんでした)
私が一番欲しかった木のおもちゃ、何だと思います?
特に変わったものがほしかったわけではありません。白木の積み木なんです。
なので子供が産まれてから自分で買うものは木製品にこだわっていました。
さて、子供が2回目のお誕生日を迎えそろそろ積み木で遊べる年齢を迎えました
ので自分なりに張り切って品物を選びに行きました。
迷いながらも小振りなものならぐーのお手々でも握りやすいから、と買いました。
でもこれで遊びなさい、と子供に渡しても喜ばなかったのですねー。
自分が欲しかったものをあげても子供が喜ぶわけではないのだと知った初めての
出来事でした。木製品を子供に与えることで親としての愛情を示せていると思って
いたことが間違いだとも気付きました。
それからは子供が本気で欲しがるものはプラスチック製でも買うようになりました。
(基本は木製品、の姿勢は譲っていませんが・・)
いまは子供も積み木はもちろん、プラレールや電子ゲームの魅力を知り、日々の
暮らしでおもちゃが有ってあたりまえの生活を送っています。
この暮らしが、いいものかどうかはまだ迷っていますが私は子供の気を引きつつ
たまーに積み木のお城をいっしょに作ってもらっては喜んでいます。
子供がうんとちっちゃいころお母さんどうしでお話をしている中で気になっていたの
は「エコロジー」の一言で顔を曇らせる人が結構いらっしゃったことです。
古くなったタオルでバスマットを作ってみたの、とか石けんで洗濯してるとかそんな
雑談の中の一言ですよ。なのに・・。
何人かのお母さんのはなしでは某幼児雑誌での公園テビューの際の注意点の
ひとつに「エコロジーを口にする人には関わるな」などというものがあったそうで、
どうも警戒されるべきものと捉えられていたらしいのです。
一雑誌の情報がそんなに影響があるものなのかはわかりませんが、とにかく公園で
はきょうのおかずなどの当たり障りがない会話しか歓迎されませんでした。
最初に仲良くなろうね、と言ってくれたのでしたらエコロジーの話題のときも興味が
ないと言うだけで納得しましたのに返ってくるのはうやむやな笑いと陰口と・・。
(一時期は公園に行こうとしただけで足がすくむほど情けない状態でした)
最近はマスコミが環境破壊を広い定義でニュースとして取り上げるようになって
いるおかげか拒否反応を示されることは少なくなりましたが、私の方も雑談でこの
手の話題が出てきてもかなり周りの反応をうかがうようになっています。
ここについても子供がらみのお付き合いの方には話すまい、と心に誓っています。
かつて何より傷つけられたのは子供どうしが公園で仲良く遊んでいたのにこの事
が原因でうちの子だけ一緒に遊んでもらえなくなくなったことでしたので。
いまのこうした保身的な自分の態度には当然嫌悪感を持っています。
でも同時に心の中に叫びに似た想いが巣くっています。
公園をはじめとするママさんライフが閉鎖的だと思うのは私だけですか?
最近某所のお野菜がダイオキシンの汚染がひどいというマスコミ報道のあおりを
受けて売れなくなっているとか。
一般市場価格の約三分の一までお値段を下げて店頭に並んでいるそうですが
それでも買い控えが起きるのはどうしてでしょうね。
この国の安全基準は企業等にクリアしやすいところまでレベルが低く設定されて
います。マスコミの他の報道を見ているだけで十分知っているはずです。
ダイオキシンの汚染をおそれる気持ちがあったとて、買う場所を変えても無駄な
ことなのです。狭い日本ではどこもみんな似たりよったりでしょう。
基準の厳しい外国からの輸入ものなら大丈夫と思われます?
これも昔から自国の基準では弾かれるであろうものばかり入荷されています。
それに動物もおさかなも食物が連鎖するものである限り、状況はさらに深刻だと
考えるのが自然でしょう。
つまりは自分の身の回りにあるものは気が付けばジャンクフードばかりなのです。
そして今回の騒ぎの元はいまさらな情報からの報道なのです。
こわいですか?でも私はお野菜たちが無農薬で栽培されたものならそれらを
食べます。
仕方がないでしょう?個人レベルでは避けられるのはその程度です。
騒いでいるダイオキシンにしたところで日々の暮らしで私たち自らが生み出した
ものですもの。みんなも、私も、当然加害者でもあるのです。
避けたくなるのも妥当な行動でしょう。子供にまで毒のある食べ物をあげたいと
願う親は滅多にいませんもの。
でも、それなら今までよりもうひとつだけでも踏み込んで行動してみませんか。
たとえ実践できることがひとつしかないとしても、出来ることはしていきましょう。
子供たちまで汚されるままにしておくなんて悔しいではありませんか?
どうか 迷いながらも小さい積み重ねでも何かが変わる、と信じている私と同じ
方向を歩んで下さい。